ふんふん古事記

2015.4.9ふんふん古事記

大国主神の国造り完成

 少名毘古那神という相棒を失った大国主神は、嘆きました。その時に海を照らしてやってくる神様がありました。その神がこういいました。 
「私をしっかと祭るならば、お前と一緒に国造りをしてやってもいい。そうしなければ国が治まることはないだろう」
 大国主神は戸惑いながらもこの答えました。
「では、どのようにしてお祭りすればいいのでしょうか?」
 その神はこう答えた。
「大和の国の青垣のように取り囲んでいる山々の、東の山のてっぺんに、身を清めて私を祭りなさい」
 この神こそ、御諸山(みもろやま)の上に坐まする(三輪山の上に鎮座する)神です。*古事記では、この次に、須佐之男命の子に当たる大年神(おおとしのかみ)の妻子とその子孫を紹介しています。大年神の系譜は須佐之男命から先の国つ神にいたる重要な系譜と考えられております(系譜は省略いたします) このようにして、大国主神は、ついに葦原中国(あしはらのなかつくに)を完成させて、国造りを終えました。地上の葦原中国は、出雲にて大国主神が治め、その勢いを遠くに、遠くに延ばしていきました。
 一方、高天原では、天照大神が、安河原(やすのかわら)で「うけい」の勝負をしてもうけた御子に、この国を治めさせようと考えておられました。そこでこのように言われたのです。
「末長く稲の穂が水々しく実るこの豊葦原の千秋の長五百秋の、水穂の国こそ、私の子孫である正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやびあめのおしほほみみのみこと)が治めるべき国である」 

文/もり・けん
1951年大阪市生まれ。
長年勤めた幼児教育出版社を
43歳で退社し、モンゴルに渡る。
自然に添うように生きる遊牧の暮らしを学び帰国。以後モンゴルの正しい理解と亡くしてしまった日本の心を取り戻せと訴え続ける。

日本の童謡の普及のため、作詞(新しい童謡の創作)、演奏(昔からある良い童謡の伝承)の両面で展開、全国各地を講演、ハーモニカによるコンサート活動は海外にも及びモンゴルを始めロシア、中国、北欧のフィンランドやスウェーデンなどの子供たちとも交流している。

文部科学省の財団法人すぎのこ文化振興財団の環境ミュージカル「緑の星」をはじめビクター「ふしぎの国のアリス」などを発表、絵本、童話、童謡など子供のための創作活動をしている。

現在、日本音楽著作権協会会員、日本童謡協会会員、詩人、ミュージカル作家、作詞家、ハーモニカ奏者。梅花女子大学、朝日カルチャーセンター、読売文化センター、ヤマハ音楽教室などの講師を勤める。