ふんふん古事記

2015.7.1ふんふん古事記

ふんふん古事記31

 天若日子(あめのわかひこ)は高天原の神々の命令に背いて蘆原中国を手に入れようと計りましたが高御産巣日神(たかみむずびのかみ)により放たれた矢で雉の鳴女とともに亡くなりました。そしてその妻の下照比売(したでるひめ)の泣声が天に届くと、天若日子の父、天津国玉神(あまつくにたまのかみ)や妻子が悲しみ、蘆原中国に降りて、喪屋(もや=亡骸を安置する仮家)を建て歌舞いをしました。そこに大国主神の子、阿遅志貴高日子根神(あぢしきたかひこねのかみ)が来て喪を弔いました。その姿が亡くなった天若日子にあまりに似ていたので、我が子と思った天津国玉神と妻は「我が子は死んでいない。よくここに来てくれました」と高日子根神の手足にすがって泣きました。それに対し、高日子根神は怒りました。
「私は大事な友に弔いに来た。私は穢れた死人ではない」
そういうと、剣を抜き喪屋を切り裂き、蹴り跳ばし、飛び去りました。その時、高日子根神の妹である高比売命(たかひめのみこと)は、そのつ御名を明かそうと歌を詠みました。
「天なるや 弟棚機の 項(うな)がせる 玉の御統(みすまる)御統に 穴玉はや み谷 二渡らず 阿治志貴高比子根の 神そ」
訳 天上に居られるうら若き機織女が首に掛けている玉を繋いだ首飾りの穴に開いた玉が輝くように、谷二つに渡って光輝いているのが阿治志貴高比子根神です。
 さて、蘆原中国へ神を使わせることがすべてうまくいかないので、天照大御神は、また、思金神と諸々の神に提案しました。
「天の安の河上の天の石屋に居る伊津之尾羽張神(いつのおはばりのかみ)を遣わすべきです。この神でなければ、その子、建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)を遣わすべきです。伊津之尾羽張神は天の安の河の水を塞き止めて道を塞いでいるので、他の神はそこには行けません。ですから天迦久神(あめのかくのかみ)を遣わせて尋ねさせるべきです」

文/もり・けん
1951年大阪市生まれ。
長年勤めた幼児教育出版社を
43歳で退社し、モンゴルに渡る。
自然に添うように生きる遊牧の暮らしを学び帰国。以後モンゴルの正しい理解と亡くしてしまった日本の心を取り戻せと訴え続ける。

日本の童謡の普及のため、作詞(新しい童謡の創作)、演奏(昔からある良い童謡の伝承)の両面で展開、全国各地を講演、ハーモニカによるコンサート活動は海外にも及びモンゴルを始めロシア、中国、北欧のフィンランドやスウェーデンなどの子供たちとも交流している。

文部科学省の財団法人すぎのこ文化振興財団の環境ミュージカル「緑の星」をはじめビクター「ふしぎの国のアリス」などを発表、絵本、童話、童謡など子供のための創作活動をしている。

現在、日本音楽著作権協会会員、日本童謡協会会員、詩人、ミュージカル作家、作詞家、ハーモニカ奏者。梅花女子大学、朝日カルチャーセンター、読売文化センター、ヤマハ音楽教室などの講師を勤める。