ふんふん古事記35天孫降臨 2
邇邇芸命に伴い降ってきた天児屋命は、後に大和朝廷の祭祀を行う中臣連(なかとみのむらじ)らに繋がっていきます。中臣鎌足は藤原姓を与えられ藤原氏となり、布刀玉命も、大和朝廷の祭祀にあたって物資を貢納する職業集団であった忌部首(いんべのおびと)らの祖となります。天宇受売命は、猿女君(さるめのきみ)らの祖にあたります。猿女君は、朝廷の鎮魂祭儀で舞楽を演じる巫女を出す氏族です。古事記を編纂した稗田阿礼はこの一族から別れた稗田氏の出身です。伊斯許理度売命は、鏡作りを業とした鏡作部を統率した氏族である鏡作連(かがみつくりのむらじ)の祖です。玉祖命(たまのおやのみこと)は、玉作りを業とした玉祖連の祖です。後に姓(かばね)「宿禰」(すくね)を与えられます。宿禰は、真人、朝臣に次ぐ姓の一つです。この五柱の神は、いずれも天照大神の天の石屋(あめのいわや)隠れで、登場した神です。
さて、邇邇芸命は高天原の御座所である天之石位(あめのいわくら)を離れて、空に幾重にもなびいている八重多那雲を分け入って、堂々たる威容に、道を押し開きました。そして、天浮橋(あめのうきはし)の傍らにある浮洲の上に立ち寄って、下界を眺めたのです。そして、筑紫の日向にある、噴煙絶ゆることのない高千穂の峰に天降ったのです。
そこで、天忍日命、天津久米命の2人が、背中には矢を背負い、腰には柄頭がこぶのように膨らんだ頭椎之太刀を吊るし、手には、天之真鹿児矢を持ち、先に立って案内役を務めました。この天忍日命は、大伴の連の祖先、天津久米命は、久米の直の祖先です。
邇邇芸命は、言いました。
「遥か海を隔て韓国を望み笠沙の岬を前に見て、朝日がまともに射す国、夕日が照り輝く国、こここそは良い土地である」
そして、邇邇芸命は、地の底までも深く宮柱を埋め、高天原にひ木の届くほど屋根が高い宮殿を築いてその地、日向の宮としました。