ふんふん古事記

2015.12.24ふんふん古事記

ふんふん古事記36天孫降臨 3

邇邇芸命は、地の底までも深く宮柱を埋め、高天原にひ木の届くほど屋根が高い宮殿を築いてその地、日向の宮としました。  そこで、天宇津女命にこう命じました。
「この道案内の役目を務めた猿田彦の大神は、お前が何者なのかを明らかにして連れてきた神であるから、お前がその本国の伊勢の国へと送り届けてやらねばならない。また、その神の名はお前の家に伝えて、お前が代わって使え祀ることにしなさい」
天宇津女命は、猿田彦大神を伊勢の国に送って着くと、海に住む魚という魚を、鰭の広いのも狭いのも全て集めて、尋ねた。
「お前たちは、天神の御子にお仕えしますか?」
その時魚どもはいっせいに仕えると答えましたが、海鼠だけは答えませんでした。
天宇津女命は「この口は答えられぬ口か?」と、小刀でその口を割いてしまいました。だから今でも海鼠の口は避けているのです。このように、天宇津女命が魚どもに誓わせたので、代々、後の志摩である島の国(今の伊勢半島先端あたり)から、海でとれた初物を朝廷に献上する時に、その初物を、子孫の猿女の君などに下されるのであります。
さて、日嗣の御子である邇邇芸命は、笠沙の岬で、みめうるわしい乙女に会いました。
「私は大山津見神の娘、神阿多都比売、またの名を木花之佐久夜毘売と申します」
「お前に兄弟があるか?」
「姉、石長比売が居ります」
「私はお前を妻にしたいがどうじゃ?」
父に相談をという言葉を聞いた邇邇芸命は、早速、大山津見神に使いを出して、姫を妻にしたい旨伝えました。

文/もり・けん
1951年大阪市生まれ。
長年勤めた幼児教育出版社を
43歳で退社し、モンゴルに渡る。
自然に添うように生きる遊牧の暮らしを学び帰国。以後モンゴルの正しい理解と亡くしてしまった日本の心を取り戻せと訴え続ける。

日本の童謡の普及のため、作詞(新しい童謡の創作)、演奏(昔からある良い童謡の伝承)の両面で展開、全国各地を講演、ハーモニカによるコンサート活動は海外にも及びモンゴルを始めロシア、中国、北欧のフィンランドやスウェーデンなどの子供たちとも交流している。

文部科学省の財団法人すぎのこ文化振興財団の環境ミュージカル「緑の星」をはじめビクター「ふしぎの国のアリス」などを発表、絵本、童話、童謡など子供のための創作活動をしている。

現在、日本音楽著作権協会会員、日本童謡協会会員、詩人、ミュージカル作家、作詞家、ハーモニカ奏者。梅花女子大学、朝日カルチャーセンター、読売文化センター、ヤマハ音楽教室などの講師を勤める。