童謡伝道マガジン「ふんふん」H・U・N企画

ダークおじさんと童謡の世界

2018.4.25ダークおじさん

童謡・唱歌にも戦争の影が

童謡・唱歌にも戦争の影が・・ 「いぬのおまわりさん」は佐藤義美さんの童謡
毎年、どんな童謡が載っているのか楽しみにしている童謡カレンダー(発行:H・U・N企画/制作:もり・けん)。今年は「童謡誕生100周年記念」です。
1月の童謡は、戌の年に因んで、「いぬのおまわりさん」。作詞 佐藤義美さん、作曲 大中 恩さんで、作詞作曲とも「よしみ」・「めぐみ」と女性の名前のようですが、どちらも男性です。

「グッドバイ」が敵性音楽
作詞の佐藤義美さんの作品には「いぬのおまわりさん(昭和35年)」以外にも「おすもうくまさん(作曲:磯部 俶/昭和26年)」「アイスクリームの歌(作曲:服部公一/昭和35年)」など、NHKのみんなのうたや幼児番組で放送されたので、佐藤さんは戦後に活躍された方かと思いましたが、ネットで調べてみると、明治38年大分県(現在の)竹田市に生まれ、お父さんの転勤で中学生の途中で横浜に移り、この頃から詩や童謡を作り始めたそうです。童謡雑誌「赤い鳥」「金の星」などに投稿して、早稲田大学国文科在学中には、すでに童謡作家として戦前にも活躍された方です。さらに調べると、戦時中はほとんどの作品が「英米的」という理由で発売禁止になっていたという文章を見つけました。
 「グッドバイ」は、佐藤義美さんの詞に河村光陽さんが曲をつけた昭和9年にできた童謡で、幼稚園のときに歌った覚えがあります。しかし、この曲が昭和11年にレコード録音されましたが、太平洋戦争勃発に伴う時代の流れの中で「敵性語の歌」というレッテルを貼られ、発売が中止になったそうです。

 「おもちゃのマーチ」は歌えない!
続く、童謡カレンダー2月の童謡は「おもちゃのマーチ(作詞:海野 厚 作曲:小田島樹人)」。こちらは大正12年に作られています。
やっとこやっとこ くりだした
おもちゃのマーチがラッタッタ
人形の兵隊 せいぞろい
お馬もわんわもラッタッタ
         (1番)

ある童謡・唱歌を歌う会の後、大阪府枚方(ひらかた)市のKさんから、「この歌を歌うと思い出すことがあります」と言われました。お話を伺うと満州で終戦を迎えた直後の出来事でした。
ロシア兵が新京市(現在の長春)に進駐してきて、社宅の小さな窓から家の中を覗いた時、Kさんがとっさに両手を広げて「母さんはいません!」と、兵隊たちが家の中に入るのを阻止したそうです。当時5歳のKさんの迫力にロシア兵も気後れしたのかもしれません。あの時代、近所でも婦女子への暴行、物資の略奪などがあったそうです。
九州からお父さんが満州電力会社に働くため大陸に渡たり、家族全員で会社の社宅に住んでおられたわけです。敗戦後1年経過した昭和21年11月、裸一貫になって家族5人全員が無事に日本(博多港)に帰ることができたそうです。
まもなく80歳になられるKさん、学生時代はマンドリンクラブに所属し、現在も地元の男声合唱団で音楽を楽しんでおられます。

敵性レコードから除外された唱歌「♪埴生の宿」や「♪庭の千草」
 埴生(はにゅう)の宿も 我が宿
玉の装い 羨(うらや)まじ
 のどかなりや 春の空
花はあるじ 鳥は友
 おゝ 我が宿よ たのしとも たのもしや

この「埴生の宿」(明治22年 中等唱歌集)は、イギリスのヘンリー・ローリー・ビショップ作曲で、作詞は里見 義(ただし)さん。戦時中に洋楽レコードが「敵性レコード」として廃棄が呼びかけられる中で、国民生活に馴染んでいるとして除外された曲だそうです。映画「ビルマの竪琴」では、日本兵とイギリス兵がお互いに母国語で歌う感動的なシーンがあります。(※他には「庭の千草」「蛍の光」なども除外されています)
明治時代の文語体の詞なので、意味が分からない箇所がありますが、ハンドブック「世界の愛唱歌」によれば、『土間にじかに筵(むしろ)を敷いて寝る粘土で作った家が埴生の宿』『それほど貧しい家であっても,我が家が一番楽しくていい』『玉の装い=宝石を散りばめたような素晴らしいところ、羨まじ=うらやましくない』と、書かれています。

意味も分からず、童謡や唱歌を歌っていたけれど・・
「埴生の宿」の作詞をした里見 義さんは文部省の音楽取調掛(とりしらべがかり)として、外国の曲に日本語で作詞しました。文部省唱歌「庭の千草(アイルランド民謡)」も彼の作詞です。
童謡・唱歌を歌う会などでは、これ等の曲が今もリクエストの多い曲です。
私たちは明治時代に作られた歌を子どもの頃に意味も理解せず歌っていましたが、大人になって歌うとメロディとともに琴線にふれる名曲だと思う曲です。
「埴生の宿」は、親から子 子から孫へ歌いつごう「日本の歌百選」に選ばれ、映画「火垂る(ほたる)の墓」などにも使われ、さらにネットで調べると、北大阪急行線「千里中央駅」の到着放送チャイム、近鉄特急の「桑名駅」到着時の車内チャイムにも使われているそうです。私たちの日常生活の中に確実にある曲です。
童謡や唱歌をいろいろ調べていると、曲の歴史的背景が見えてきます。一時期の戦争が童謡や唱歌にも大きな影を落としていたのです。いつまでも平和な時代が続ことを願って、ずっと歌う継ごうと思います。

文/ダークおじさん 筒井幹夫(65)
学生時代は、グリークラブ(男声合唱団)に所属。卒業後、青少年育成専門団体に携わり、学校キャンプ、ファミリーキャンプを担当する。ここで、歌が大きな力になることを体験する。
現在、ふんふんさろんシニアスタッフ。大阪童謡くらぶ会員、歌声喫茶ピープルズリーダー。