青い目をしたお人形は?
「青い目の人形」という童謡は、ちょうど100年前の1921年(大正10年)、「金の船」誌(※)で紹介されました。
青い目の人形
青い目をしたお人形は
アメリカ生まれのセルロイド
(長調)
日本の港についたとき
いっぱい涙をうかべてた
「わたしは言葉が わからない
迷子(まいご)になったら なんとしよう」
(短調)
やさしい日本の 嬢(じょう)ちゃんよ
仲よく遊んで やっとくれ
仲よく遊んで やっとくれ
(長調)
野口雨情の詞に本居長世がメロディを付け、「長調」で始まり、途中はもの悲しく「短調」に変わり、明るく「長調」で終わります。
この曲のことを調べていると、今年のNHK大河ドラマの主人公が20年ぶりに刷新される1万円札の顔になる渋沢栄一で、にわかにスポットが当たっていますが、この童謡「青い目の人形」がきっかけで、日米親善のために渋沢栄一が仲介をして、アメリカから12,700体ほどの人形が1927年に日本全国の子どもたちに送られてきたそうです。ちなみに答礼として「市松人形」がアメリカに送られました。
雨情は、もし青い目の人形が迷子になったら、日本のやさしいお嬢ちゃんに「仲良く遊んでやっとくれ」とお願いしていますが、戦時中、この童謡は歌うことが禁じられ、敵国の人形として、竹ヤリでつつかれたり、殴られたり、果ては軍部から焼却命令も出されたという不幸な時代もあったそうです。
「青い目の人形」が生まれてちょうど100年。彼女の目にこの100年はどう映っていたのでしょう。そして昨年からの新型コロナウイルスであたふたしている私たちをどうみているのでしょうか。
(※「金の船」は、のちの「金の星」に書名が変わり、金の星社は今でも絵本などの出版社として有名。初代の編集長は「青い目の人形」の作詞者野口雨情です。)