ひな祭りの始まり
昔、中国の漢(紀元前206年~紀元後220年)の時代に、除肇(じょちょう)という人がいました。
除肇のお嫁さんは3月の初めに、3人の女の子を授かりましたが、3日以内に3人とも死んでしまいました。娘の死を悲しむ除肇を見ていた村人たちは、何かのたたりに違いないと、お酒と川の水で3人の体を清めて水葬をしました。
その後、災いを除くため、3月3日には水辺に出てお祓いをして、宴会を催す風習が生まれました。これを、中国では、上巳節(じょうしせつ)といいました。五節句の一つですね。(※下記参照)
平安時代の頃には、その風習が日本にも伝わり、3月3日にお祓いをするようになりました。
その後、自分の身に降りかかる災難をさけるために、息を吹きかけた紙の人形を川や海に流すようになりました。ここから災厄を祓うという風習が生まれます。これが地域によっては現代でも行われている「流しびな」の始まりです。
その頃、貴族の家で流行っていた「人形を使ったままごと」、つまり子どもたちのままごとを「ひいな遊び」といい、江戸時代の子どもたちの間でも大流行になっていきました。
この、ひいな遊びにはある特徴がありました。
遊びで使う人形は、必ず男の人形と女の人形の2つの人形を対で使っていたということです。これがお内裏様(男雛と女雛)が、必ず対で飾られる原型になったとされています。
※五節句とは
季節の節目に設けられた節句で、すべて奇数の重なる日が選ばれています。
奇数を縁起の良い数字(陽の日)、偶数を縁起の悪い日(陰の日)とする、中国の陰陽五行説から伝わった習わしで、日本古来の年中行事と結びついて、現在でも継承されています。
〇1月7日 人日(じんじつ)、七草の節句。
古来、中国では、正月1日鶏、2日犬、3日豚、4日羊、5日牛、6日馬、7日人の日で、犯罪者に刑罰を行わない日とし、七草の汁物を食べたことが、日本の平安時代に七草粥に。
〇3月3日 上巳(じょうし、じょうみ)、桃の節句。
〇5月5日 端午(たんご)、菖蒲の節句。
5月初めの午の日。5と午(「ご」と読み)、男子の節句で、5月5日に菖蒲(勝負にかかる)湯に入り、邪気を払った。
〇7月7日 七夕(たなばた、しちせき)、笹の節句。
中国の裁縫が上手になるように祈る「きこうでん」と、日本の『古事記』に登場する棚機津女「たなばたつめ」が合わさった。
〇9月9日 重陽(ちょうよう)、菊の節句・
中国の「菊を鑑賞する行事」が、平安時代に日本に伝わり、「菊華宴」が催されるようになった。