唱歌「夏は来ぬ」は「夏は絹」?
1918(大正7)年、鈴木三重吉が創刊した『赤い鳥』を契機に童謡運動が盛んとなりました。童謡の代表的詩人として知られる野口雨情の依頼により、作詞の林柳波の妻、林きむ子は1925(大正14)年頃から童謡に振付けを行い、雑誌『金の星』に写真入り解説の掲載を始めました。
これが縁となって、夫の林柳波も雨情の影響で、再び詩作を行うようになり、娘たちと共に公演旅行を行って、家族で「童謡舞踊」を広め、童謡運動に貢献しました。
昭和に入ると童謡運動は下火となりましたが、柳波は詩集の出版を行う一方、1937(昭和12)年、音楽著作権協会設立委員、文部省国民学校教科書芸能科編纂委員となり、活躍の場を広げました。
作曲の井上武士は、唱歌・童謡を中心に作曲に従事し、「こいのぼり」「汽車ポッポ」「虫の声」「お月さま」等、日本音楽史上に残る数々の作品を残しました。
東京音楽学校(現在の東京芸術大学)で音楽を学び、台湾総督府付属女学校教諭として台湾に赴任。帰国後、洗足音楽短期大学などで教鞭をとり、のち東京音楽大学教授に就任。日本教育音楽協会会長・同声会会長などの要職を歴任しました。
林柳波とのコンビは、この「うぐいす」のほかに「うみ」も残しています。
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