背くらべ
柱の傷はなぜ「おととし」?
作詞の海野厚は、静岡県豊田村(現・静岡市駿河区)出身で、7人兄弟の長兄。旧制静岡中学卒業後、早稲田大学に入学のため単身上京。そして、雑誌「赤い鳥」に投稿した作品が北原白秋の目に留まり、童話作家となりました。
童謡や俳句の世界にのめりこんだ海野は病弱で、静岡には帰郷できずでした。
実家には3人ずつ、妹と弟がいましたが、中でも17歳年下の弟、春樹は海野にとってかわいい存在。
しばらく帰郷していない豊田村で暮らす弟は大きくなっているだろうか?
もう2年も帰省していないが元気だろうか?
そんな思いが『背くらべ』の歌詞に込められたのです。
海野は、中山晋平らと『子供達の歌』を出版し、雑誌「海国少年」の編集長も務めますが、1925年5月20日、結核にて28歳の若さで逝去。彼の母校である静岡市の西豊田小学校に、『背くらべ』の歌碑が残されています。
ご縁の不思議が続きます。この歌で背の丈を測ってもらった海野春樹は、NHK、その後MBSのアナウンサーとなり、その息子の海野ふうは、キーボードで音楽活動。元和歌山放送時代には、局アナの塚本けいこ、沢井則江(現在、2人でKanonn)の上司。塚本は私の高校の後輩。私も出版社退社後、一時MBSでラジオ番組制作にかかわっていました。縁というのは不思議なものですね。
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