五木の子守唄
今月の歌は、民謡です。熊本県球磨郡五木村(人口は1136人、2017年)一帯で、歌い継がれてきた子守唄。
源平合戦に敗れ、五木村の隣の五箇荘村に定着した落人。源氏は、梶原、土肥の武者を送り、五木村に住まわせ、平家の動向を監視させたと伝えられています。
その後、これらの源氏の子孫を主として、三十三人衆と呼ばれる地主(「よか衆」とよばれる階級)ができました。この他は「勧進」といわれる小作人で、この小作人は、田畑はもちろんのこと、家、屋敷から農機具まで、「よか衆」から借り受け、農奴として最低の生活である被差別者としての苦しみを続けていました。
そのため、幼い娘たちを子守奉公に出さざるを得ませんでした。娘たちは、背中の赤ん坊をあやしながら、わが身を嘆いて歌い継いできた唄で、内容は子守唄というよりは、彼女たちの嘆き唄であるので、「守り子唄」ともいわれています。
古くから伝わってきた民謡で、誰が作ったかは分かっていません。
もともと、歌詞も譜面もない伝承の歌でしたが、現在の曲は作曲家の古関裕而さんによる採譜で、昭和15年NHKラジオ「おやすみ番組」を通して流され、人々の共感を呼びました。
五木村の人が知らないうちに一躍、民謡の花形となり、日本の代表的な子守唄として全国に広まりました。戦後、教科書にも掲載されて、広く知られるようになりました。
日の目を見た歌とともに、戦いに負けたものの一族がずっと苦しめられるという現実を知るたびに、私は戦いを起こす人にはならない、そして戦いをしない、させない人間関係を第一にと、心に誓っています。
今月の童謡を皆さんで歌ってください。園、学校、グループでの歌唱、演奏の様子を映像で送っていただけますでしょうか【あて先】H・U・N企画
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